間の宿、西倉沢
〒421-3115 〒421-3115 静岡県静岡市清水区由比西倉澤84−
間の宿藤屋
薩埵峠の東登り口に位置しているところから一名を坂口屋といわれ、本来は藤屋と称し
て茶店を営み、磯料理、あわび、さざえのつぼ焼きを名物としていました。
ここより富士山の眺望がよいので「望嶽亭」と称し、文人墨客が好んで休憩したといわれています。

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江戸時代から間の宿にあって、柏屋と称して茶屋を営んでいました。
明治元年(一八六八)及び十一年(一八七八)、明治天皇ご東幸のみぎりは、ご小休所に当てられました。
明治十五年(一八八二)頃、静岡県令大迫貞清が療養のため柏屋に逗留された際、倉沢の気候風土が郷里の九州に似ているところから、田中びわの種子をとりよせ栽培をすすめ、当地に田中びわが普及するところとなりました。
静岡市

西倉沢は、薩埵峠の東坂登り口に当たる「間の宿」で十軒ばかりの休み茶屋があって、旅人はここでお茶を飲み、疲れをいやし、駿河湾の風景を賞で旅立っていきました。
ここ川島家は、江戸時代慶長から天保年間凡そ二百三十年間代々川島勘兵衛を名のり、間の宿の中心をなし、大名もここで休憩したので村では本陣と呼ばれ、西倉沢村名主もつとめた旧家です。

望嶽亭の前、薩埵峠、東登り口の一里塚跡がある。現在、塚は壊されてしまっていますが、旅人の心境はどんなものだったろう。
江戸から京に向かう人には、難所の入り口にある一里塚だったろうし、江戸に向かう人には難所を越えたところにある一里塚だった。
ゆえに旅人の心境は全く違ったのではないだろうか?