子規庵

〒〒110-0003    東京都台東区根岸2丁目5−11

正岡子規と松山の歴史的風景

正岡子規(1867年10月14日〈慶応3年9月17日〉生まれ)
伊予国温泉郡藤原新町(現在の愛媛県松山市花園町)に生まれ、俳句・短歌といった定型詩に「写生」という新しい視点を取り入れたことで、近代俳句の父と称される文学者です。
実は青年期は自由民権運動にも関係があったとされ、後に新聞記者として表現の自由、言論の自由などもこの人物に影響を与えたのも確かです。
34歳で東京・根岸て亡くなりましたが、その短い生涯の中で日本文学に大きな足跡を残しました。

子規庵

周辺写真・関連写真

子規庵の庭
子規庵の入り口
正岡家井戸跡

坂の上の雲

子規庵の糸瓜

坂の上の雲では、秋山兄弟(好古・真之)と共に正岡子規の生涯が綴られています。
肺結核、脊椎カリエスを患った子規は闘病生活6年間をこの東京根岸で過ごしました。
妹の律は、兄の看病に努め肺結核、脊椎カリエスの痰を切るのによいとされていた糸瓜を庭に植えたとあります。
その糸瓜が、子規庵に実り始めていました。

糸瓜咲きて、痰のつまりし仏かな

正岡子規生誕地

正岡子規生誕地跡碑

この物語の主人公は、あるいはこの時代の小さな日本ということになるかもしれないが、ともかくもわれわれは三人の人物のあとを追わねばならない。そのうちのひとりは、俳人になった。俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖になった正岡子規である。
司馬遼太郎著『坂の上の雲』(文藝春秋刊)単行本:1巻より
近代文学史上大きな足跡を残した正岡子規は、慶応3(1867)年9月17日、この地に生まれ、東京根岸で35年の生涯を閉じた。子規の本名は常規(つねのり)であるが、近親者は生涯を通して「のぼさん」と呼んだ。
生家は、東西の道路の南側にオロ垣(竹の枯れ枝)を結い、垣の内にサンゴ樹の並んだ家であったという。