龍淵寺(りゅうえんじ)
〒360-0012 埼玉県熊谷市上之336
龍淵寺は成田氏の菩提寺であり、境内には中興の祖である開基・成田泰時の墓が今も大切に祀られています。寺のほど近くには成田氏館跡があり、当時の勢力がうかがえます。
龍淵寺の創建は応永18年(1411年)、室町幕府第四代将軍・足利義持の時代です。応仁の乱(1467年〜)が始まる50年以上も前のことであり、大変歴史のある古刹です。
忍城から向かう際は、皿尾口門を出て皿尾城を左手に、突き当たりの「上池守(北)」交差点を左折、しばらく歩くと静寂に包まれた龍淵寺が見えてきます。
成田氏は鎌倉時代から戦国末期までこの地を治めた名門で、特に最後を飾った氏長や、その従兄弟で「のぼう様」として親しまれる長親がよく知られています。氏長は甲斐姫の実父であり、1590年の小田原征伐に伴う忍城開城によって一度は所領を失いました。しかし、甲斐姫が豊臣秀吉の側室として召し出された縁もあり、後に下野国・烏山(現在の栃木県)三万七千石の大名として返り咲きました。氏長は文禄4年(1596年)、烏山にて55歳の生涯を閉じたと伝えられています。
また、龍淵寺には幕末から明治にかけて活躍した女流南画家・奥原晴湖の墓所があるほか、昭和25年の火災を免れた「成田系図」や「成田記」といった貴重な古記録を所蔵しており、地域の歴史を今に伝える重要な拠点となっています。

エモすぎる再会!家康と幼なじみの和尚さん
ある日、徳川家康が趣味の鷹狩りをしていた時のこと。「太平山(たいへいざん)」というお寺の名前を聞いて、「平和を象徴する名前で縁起がいいね!」と、ふらっと龍淵寺に立ち寄ったんです。
そこで迎えた住職の呑雪(どんせつ)和尚を見て、家康はびっくり!
なんと彼は、家康が子供の頃に一緒に勉強していた幼なじみの**「種松(たねまつ)くん」**だったのです。
「うわあ、久しぶり!元気だった?」と大喜びした家康は、
「お祝いに、このお寺にたくさん土地をプレゼントするよ!」
と、超太っ腹な提案をしました。
ところが、和尚さんの返しがまたカッコいいんです。
「仏門に入った身ですから、お金や財産がありすぎるのは困るんです」
と、まさかのプレゼント辞退!
これを聞いた家康はさらに彼を気に入り、翌年、
「じゃあ、お金の心配をせずに修行に集中できるように」
と、公式な証明書(朱印状)を付けて「百石」という大きな
支援を贈りました。
これをきっかけに龍淵寺はめちゃくちゃ栄えて、たくさんの
僧が集まるすごいお寺になったんだそうです。