縁切橋跡碑
〒361-0057 埼玉県行田市城西1丁目4
忍城主成田氏長は、妻の実家上州金山城主横瀬成繁と不仲になり、ついには妻との離婚を余儀なくされたと伝えられている。氏長はここにあった橋から妻を見送ったという伝説がある。記録にはないが、それにちなんで橋を縁切橋と呼んだと伝えられている。

彼女は当時3歳だった甲斐姫の実の母である。氏長は甲斐姫を抱いて妻を見送ったという橋の伝説。 近くには、涙橋跡碑もあります。

幾度となく北条に攻め込まれ北条方に降伏せざるを得なかった父。
そして母の実家は上杉に近い家。離縁はやむを得ない判断だったろうか?
母との再会はできた?
母は幼子の心配をしながら実家である金山城方面に向かう。
橋を渡り、皿尾口御門方面に道は折れる。
幼子の姿が視界からなくなるまで、ずっと姫の姿を目に焼き付けていただろう。
そして その道のりで母は甲斐姫の事ばかり考えていたに違いなかった。